坂本博之ラストファイトへ、大勢の皆様から応援、激励のメッセージをいただきました。
- お疲れ様でした。
- あなたの強さはこれまで十分に見させていただきました。これからは、あなたの無限の優しさで、またひとつ大きな仕事をなさってください。そしてこれからもずっと、勇気を与えてくれる坂本博之であり続けてください。応援しています。
- おつかれさまでした
- 坂本選手おつかれさまです いままで勇気をくれてありがとうございました 。
- ラストファイトを瞼の奥に焼き付けてきました。 堺さん
- こんばんは、先日初めてメールを送りました福岡出身の堺です。
今日は何とかスケジュールをやりくりして後楽園ホールに駆けつけ、当日券の二階席から坂本選手のラストファイトを 観戦し、声の限り応援を送りました。結果は、やや消化不良の負傷判定で生涯初の引き分けとなりましたが、残念 ながら今の体調を考えると仕方ないかな?という気もしました。 帰りに受付のところで本を買って電車の中で読みながら帰りました。脳が腫れている状態で試合の後に疲れが取れ にくく寝付けない状況だったとか。症状を悪化させないためにも引退後の生活を考慮して、今日の試合もあの辺りで 辞めて良かったのかな、とも思います。 これからも一日一日が次の人生での勝負だと思います。これからも色んな方面で坂本らしく前向きに熱く突き進んで 行ってください。陰ながら声援を送ります。 - 約束どおりラストファイト観戦 に行きましたよ(^^)
- 坂本さん、お疲れ様でしたo(^-^)o 静岡から駆け付けました☆彡 女の子一人では少し心細かったけど、思い切って指定の一万円席を買って良かったです(^^) 目は大丈夫ですか?(ノ_・。) 最後まで諦めないドスの効いたバンチファイター絶対に忘れません(~o~) 入り口のところで握手をしてもらいました(^^)帰りならいくらでもサインは書きますよって言葉を期待したのですが、最後はファンにしていたのかな。私は一人で池袋北口の宿泊先まで帰らなくてはならなかったので残念です(>_<) テンカウントやらないのかな?って期待したけど、引退セレモニーとは別だったんですよね(^^) そのときは行けるかわからないけど、遠くてもたくさんのファイトをもらったので私も見届けますo(^-^)o 今日は本当にありがとうございましたm(*- -*)m
- お疲れ様でした
- 今日の試合で引退なんてやめてください(T_T)…もう一度豪快なKOを見せてください!
- 山口県の川西です。試合お疲れ様でした 。
- 主人が昔からずっと坂本さんのファンでよくビデオを見せられたり、打たれても打たれても倒れず前に出る人なんだと熱く語ってくれていました。今日はその坂本さんの引退試合ということで初めて生の試合を2人揃って見せていただきました。油ののった血気盛んな17歳の青年を最後の選手に選ばれたことはさすが坂本選手!さすが、角海老宝石!だと思いました。私たちと余り歳の違わない坂本さんが若い選手にボコボコにされ、今にも倒れそうで倒れない姿に涙の出る思いで胸が震えました。最終ラウンドまで果たせなかったことはとても残念でしたがそれは私の勝手な思いで、坂本さんのすがすがしい表情からそんなことはどうでもよかったのだと思いました。私が感想を書くより主人に書くように言ったのですが言いたいことや思いが沢山ありすぎて文章にできないと言うんです。坂本さんに対する想いは単純な私とは全く違うというんです。「坂本にいさ?ん!」という子供たちの声援が今も耳に残って思わずメールをさせてもらいました。ただ単純にお疲れ様でした。と伝えたかったので・・坂本さんのような真のボクサーのことを教えてくれた主人にも感謝です。これからの活躍も期待しています。
奥様、弟さん、お疲れ様でした。これからは坂本2世の為に腰をガンガン使って下さい。ー酔っ払いの旦那よりー - 坂本選手ありがとう
- 坂本選手、長い間お疲れ様でした。本当にあなたからは多くの感動をいただいたと思います。 (どれ程苦しくても決して逃げず前に出る、どんな状況でも決して諦めない。) この心を僕はあなたから教えてもらったと思っています。 色々な分野で素晴らしい人は多くいると思いますけど、あなたのように人の魂に訴えかけるような感動や衝撃を与えてくれる人はいないような気がします。 引退されて新しい人生を歩まれると思いますが、あなたは変わらず不屈の精神で進んで行かれると思います。 僕は決してあなたを忘れません。本当にありがとうございました。
- 「fudoshin.jp」 長尾宗尚
- 坂本さんを一言で表現するならばやはり「渾身」です。
現役であろうがなかろうがそれは変わらないと思います。
これからも道なき道をつき進んでください。
On vit ensemlle,on meurt ensemble.
(われわれは共に生き、ともに死ぬ) - はじめまして 山田さん
- 先日坂本選手のテレビドキュメントを観て感動しました。その勢いで『ちくしょう魂』を買い、今日読み終わりました。 坂本選手が明日引退してしまうということを知り、まにあってよかったと思っています。 ずっと応援してきた人々にはかないませんが、遠くより応援しています。
- 第9代 日本ストロー級チャンピオン 江口九州男
- 勝敗なんて関係ない。ただ完全燃焼してくれ。坂本らしいボクシングみせてくれ。
- 坂本選手、お誕生日おめでとうございます。 萩森さん
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桑田弘選手との素晴らしい戦い、4度の世界戦、そして、柏樹選手との死闘、
坂本選手の戦う姿に、勇気付けられました。
坂本選手のベストファイトは、私は畑山戦ではなく、桑田選手との一戦だった と思っています。
6日は、私なりに、この引退興行を盛り上げるため、演出面などで協力させ ていただくつもりです。
本当に、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
2006年12月30日 萩森 健一 - 第22代 東洋太平洋ウェルター級チャンピオン 吉野弘幸
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2007年1月6日、ボクサー・坂本博之は最後のリングに上がる…。
ふたつの拳に己の人生のすべてを懸けて戦い続けてきたこの15年間、
大きな怪我やアクシデントに見舞われながらも、その魂の宿った拳は
どんなときでも固く、強く、何事にも動じず、信念を貫き通してきた。
そしてその重厚なオーラを纏った拳は見る者すべての心を動かし、
ボクサー・坂本博之の戦いは多くの人々の生きる道標となった。
これまで4度世界の頂点に挑み、そのどれもが王者を激しく追い詰めた。 中でも2000年3月12日、ヒルベルト・セラノ戦は1ラウンド早々に 左右の剛打で2度の痛烈なダウンを奪い、誰もが待ち焦がれた瞬間、 “世界王者・坂本博之”の誕生を信じて止まなかった…。 WBAのルールでは、このラウンドあと1回ダウンを奪えば勝利は確定する。
しかし、あと少し!もう一発当たれば!ファンの誰もが、そう願っていた 矢先に我らが坂本博之がまさかのアクシデントに見舞われた。 深いダメージを負いながらも応戦してきた王者セラノの右アッパーを浴び 下瞼をカット…王者を圧倒的に追い込んでいた流れがここで一旦ストップ、 極限まで追い込まれていたセラノはこれで息を吹き返し、互いに一歩も 譲らぬ展開の中、1ラウンド終了のゴングが鳴った…。
続く2ラウンド、セラノは左右アッパー、ジャブ、ストレート…情け容赦なく 顔面にパンチを的確に打ち込んでくる…そして今度は右上瞼を切り裂かれた。 瞬く間に右目は腫れ上がり、視界は完全に塞がってしまったのではないか‥‥ ドクターチェックが入り、試合再開となるも右目はやはり見えていないのか、 その強靱な肉体と精神で果敢に前に出て戦うもセラノの攻撃を躱しきれない。
3、4ラウンドも厳しい状況が続く…セラノは足を使い、自分の距離に 身を置きながら、死角を突いて強打を浴びせてくる。 いつ試合を止められてもおかしくないほど右目の腫れは酷くなってきた。 それでも坂本博之の心が折れることはない…“苦しく辛いときこそ 前に出ろ”それがこの男の信条であり、生き様だから…そして その言葉通り、傷だらけの挑戦者は全身全霊をかけて王者に迫り、 渾身の力を込めて左右の拳を王者の顔面、ボディに打ち込んでいった…。
迎えた第5ラウンド、再び挑戦者の流れに傾き始めていたときだった… 挑戦者の変わり果てた顔面を見てレフェリーがドクターにチェックを要請、 一旦は試合続行となるも、再度のチェックで試合続行は不可能との判断、 坂本博之の魂の炎は小さくなるどころか、こんなにも煌々としてるのに… 崇高なる男の戦いは『5ラウンド負傷TKO負け』という結果に終わった。
その後も坂本博之は不死鳥のごとく甦り、再び世界の頂きで死闘を演じた。 しかしすでに長きに渡り戦い抜いてきた肉体は激しく消耗しきっていた。 研ぎ澄まされた肉体・感覚には無数のノイズが生じ、何時しか 瞬時に反応できた“あの頃”のようには動かなくなっていた。
それでも坂本博之はリングで戦い続けてきた…。 それは自分が生きていることを何よりも実感できる場所…だからかもしれない。 リングは死と隣り合わせな場所でもある…だからこそ見えてくるものがある。 自分・人・心・身体・人生・最期…いろいろなことが見えてくると同時に 今ここに存在する自分の生きる意味を、そしてその生き方を教えてくれる… 坂本博之にとってリングとは何よりも尊く、“生きるすべて”の場所であった。
しかし今、坂本博之を愛する者たちの思いは死闘を続け傷ついてゆく坂本博之を 見ることじゃない…その存在がいつまでも変わらず傍にあることだけを願ってる。 たとえリングを降りようとも、その生き様まで変えられるわけではない。 これから何処に向かおうと坂本博之が坂本博之である限り、人はみな追い続け 多くの人たちの心に火を灯す…そこは“生きる価値のある”場所となるだろう。
『人間・坂本博之』はこれからも魂を込めて生き続ける…。
そしてこれからも俺はこの偉大な男を見続けてゆく…ただそれだけだ。 - ラストファイト 晶代さん
- こんにちは(^^)
私は坂本選手の事は『ファイトクラブ』で知りました。ドキュメンタリー番組や『不動心』も見ました。 そして、あの記憶の中に鮮明に刻まれた「畑山戦」をブラウン管の中にいる坂本さんを闘魂をこめて応援していました。あのときの解説者の言葉通り、何千何万回世界戦を観ても、これほど壮絶で迫力があるり世界戦は最初で最後だと思います。最近はホクシングを女性が観るようになったのは最近だと言いますが、私は坂本さんの世界戦からだと思います。 坂本さん、世界を奪れなかった事は悔やみでしょう。でも、坂本さんのボクサー魂は人々の心の中に永遠に不滅です。
一月六日は静岡から駆け付けます。最後の坂本博之のファイターを見届けます。
- ラストファイト。 増田さん
- 僕は大阪に住む増田と申します。
坂本選手の大ファンです。
勇気を沢山いただきました。
僕が一番印象に残ってるのは、やっぱりヒルベルトセラノ戦です。
僕は恥ずかしがりやで試合中に立ったりはしないんです。
ましては一人で観に行って、升席で、升席内は知らない人となれば、静かに観戦してました。
だけど、あの1ラウンドに二度のダウンを奪った時、気がつけば、人目も関係なく立ち上がって、大声援をおくってました。
試合の後、畑山戦や佐竹戦もそうですが、悔しくて食事が喉に通りませんでした。
ですが本当に感動をありがとうございました!
ボクシングには関係ないことなんですが、一昨年と去年に、とんかつ・もんたさんに何度か坂本選手に会いに行ったことがあるんです。
残念ながら坂本選手には会えませんでしたが、おばちゃんが気をつかってくださって、多分坂本選手に電話をしたと思うんですが、後ほど、坂本選手が、もんたさんに、電話をくださって、僕にわざわざ電話をかわっていただきまして『今は出先だから今日は行けません。』と言うて下さったんです。 電話で話せたことで凄く嬉しかったんです。 ありがとうございました。 一つお聞きしたいんですが、去年にもんたさんに電話をしたら、現在使われてないとのことで、今年にお店の前まで行きました。 完全にもんたさんではない民家になってましたけど、何かあったんですか? お店に行った時に良くしていただいたので、心配になってしまいまして…。 お元気だと良いんですが…。
話が脱線してすみません。 僕は、ボクシングが好きで、今までいろんな選手を見て来ました。 その中で一番、坂本選手の試合が、魂のこもったパンチを打ち、一番ドキドキさせていただきました。 あかの他人の人にこんなワクワクドキドキさせていただくことなんて今までありませんでした。 本当に夢と勇気と感動をありがとうございました! 1月6日、会場に応援は仕事で行けませんがテレビの前で応援しております。 渾身の一発! 燃え尽きて下さい!頑張れ! 不動心! 坂本博之! ありがとうございました。 - 関おやじさん
- 本当に その日が来てしまうんだね…ホッと したり、無性に寂しくなったり悲しくなったり、未だに関おやじは、動揺しています。でも、坂本博之は今まで本当に よく闘ってくれました。目を見開いて今まで俺達は見てきました。いろいろ感じさせてくれました。最後のリング 楽しんで!なんて、とても言えないよ!満身創痍なのを俺は感じて、ここ数戦 ここ何年かを観て来て、俺… でも、最後 日本中に そしてホールに来た人に坂本ファンにジムの後輩に優花丈一郎にみんなの胸に坂本博之を焼き付けてやって下さい!たのむよ!でも 辛いよ、俺。
- 田中さん
- どうも初めまして。坂本選手引退は昨日角海老ジムのガラス越しで知りました。昨日はたまたま妻と二人の子を連れてジム前を通るとなんと坂本選手がスパーをしているではありませんか!感激しているとボクシングをしらない妻が「知ってる!」といいました。スパー終わると思わず感激のあまりにガラス越しですが拍手してしまった私、抱いてた子供らもニコニコしていると坂本選手がグローブを叩いて微笑んでくれました。私は昭和48年生まれのもうすぐ34才です。近々試合があるのかなってなにげなくガラスに貼ってある新聞をみると「坂本引退」の記事にはショックでなりません。僕は日本チャンピオン対決で桑田選手に勝った時から「平成のKOキング」が大好きでした。ボクサーという漫画にもモデルになっていましたから買ってました。 ジョンストン戦のアグレッシブルさ セラノ戦の惜しさ忘れません。畑山選手には失礼ですがセラノ戦のカットなければと惜しまれます。つまりセラノでも畑山選手でも佐竹選手でも万全なら負けない相手だと思います。ヘルニアはアスリートにはきついですよね。 最後の試合くれぐれも怪我のないように 有終の美で終わらせてください。長い間熱くなれるファイトありがとうございました。私は歴代世界チャンピオンの名より「平成のKOキング」を忘れません
- 15年間お疲れ様でした。
- 坂本博之というひとりのボクサーと同じ時代に生き、そしてすばらしい試合を見せてくれたことに感謝しています。
福岡の子供たちだけではなく、私と同じで何度勇気付けられた人がいるかわかりません。
最後の試合、自分自身のため、子供たちのため、そして多くの坂本博之ファンのため悔いの残らない最高の試合をしてください。応援しています! - 脊損軍団代表 茶髪松葉杖
- 私達の気持ちを率直に申し上げますと、ホッとしたような、まだまだ頑張って欲しいような複雑な気持
ちです。
私達が坂本選手に出会ったのは福岡の某脊椎専門の病院でした。皆さんもご存知のとおり坂本選手も手 術を受けるべくこの病院にやって来たのです。
初めて私達が顔をあわせたのは、病棟を繋ぐ渡り廊下でした。私達は地元の坂本選手のファンで、まさ かこんな所で逢えるとは思いも寄りませんでした。私達はすぐさま坂本選手に駆け寄り握手をもとめま した。心の中では、そっけない態度をされるのでは???などと思っていました。しかし坂本選手は私 達の手を強く握り
『 初めまして♪ 応援いつもありがとうっ♪ 』
すごい笑顔で応えてくれました。そのときは他にスタッフの皆さんや某有名ボクサーの方々が居られた のですぐに部屋に戻られた様子でした。普通は握手や会釈だけというパターンが多いと思われるのです が坂本選手の一人一人のファンに対する心使いに私達はかなり感動しました。更に感動した事は、数日 後すれ違った時に坂本選手自ら
『 この前は有難うっ♪ 名前聞いても良いかな? 』
嬉しかったです。
その後坂本選手と私達はお互い似たような病気で戦っている仲間として親睦を深めていきました。待合 室で話したり、リハビリしながら話したり、更にはお互いの病室に行き来しながら話したりと坂本選手 のおかげで私達の入院生活はとても貴重な日々となりました。実際私は一度の入院で二回の手術を行い ました。これは結構精神的にくるもので、私はこの先どうなるのだろうなどとネガティブになっていま した。そういうときに坂本選手が私達に今までの経験談を話してくれて、更には坂本選手の座右の銘 『 不動心』 を教えてくれました。今では私の座右の銘にもなりました。坂本選手自体も腰が悪いのに親身 に私達ノのことを気遣ってくれました。そのお陰で私は色々な面でポジティブになれるようになりまし た。全てが坂本選手に感謝です。
坂本選手が話の中で
『人生前のめり』
こういったことをいっていました。手術前、そして復帰から現在に至るまで坂本選手を応援してきて私 達が思ったことは、坂本選手の生き方そのものがこの言葉に当てはまるのだと思いました。前のめりで 常に前に進む・・・素晴らしいことだとおもいました。
1月6日後楽園ホールラスト・・・
東京まで応援にいけないのがとても残念ですが、坂本選手の地元福岡より精一杯応援させていただきま す!!!!
不動心!!!!頑張ってくださいっ!!!! - 前日本フェザー級チャンピオン渡邉一久
- 俺が坂本さんに言われて一番印象に残っている言葉は『ハートは熱く頭はクールに』です 覚えてますか? 初めて聞いたときはあんまり実感なかったけど、最近やっとこの言葉の本当の意味がわかってきました じゃあ、今度は俺から坂本さんに一言! 『ハートは熱く頭はクールに!!』 あっ!!ぱくっちゃった(^^
- 「fudoshin.jp」 フォトグラファー 海老原一己
-
「いつ"引退"という言葉を聞いても慌てないようにと、"心の準備"をしてきましたが、いざその言葉を聞くと何とも言えない気持ちになりますね。それは他の誰よりも坂本さん自身が感じている事だと思いますが。ラストファイトもいつものように、駅のホームでおにぎりを食べて、コーヒーを飲みながら、後楽園ホールへ向かいましょう」
引退表明を聞いて私が坂本博之に送った言葉である。
「これで終わるのだ」という安堵感と、「こんなところで終わっていいのかよ」という気持ちが振り子のように行ったり来たりしている。
だけど、最後は「あの坂本博之が決めたことだから」という結論に達する。私はどんな時でも本気で坂本博之の世界戦を夢見て生きてきた男である。
しかし、泣きたいくらいにさびしい。正直な気持ちだ。
先日のメディカルクリニックでのトレーニングを見ていて、不思議な気持ちになった。
とてもあと1ヶ月で引退しようとするボクサーの練習ではない。それぐらい集中しているのだ。私は思わず聞いてしまった。「なぜ、そこまで高いテンションを保てるのか!?」と。
「坂本博之のボクシングを楽しみにしてくれるファンがいるからだよ」
「世界戦だろうと、なかろうと。そんなことは関係ない。最後まで俺を応援してくれる人達に恥ずかしい戦いを見せられないからね」
そう言い残してマッサージ室に入っていった。
坂本博之とは、2000年に馴染みの定食屋「モンタ」で出会った。
ちょうど10月にある畑山隆則との世界戦を間近に控えた頃である。
その年の3月に「WBA世界ライト級タイトルマッチ」ヒルベルト・セラノ戦があり坂本博之は第1ラウンドに2度のダウンを奪いながらも、第5ラウンドに両まぶたの上の出血により ドクターストップでTKO負けを喫してしまった。
6月には、坂本博之に勝ったヒルベルト・セラノは、元世界スーパーフェザー級チャンピオンの 畑山隆則の挑戦を受け、KOでタイトルを剥奪された。そして、畑山隆則はそのリングの上で、最初の防衛戦の相手に坂本博之を指名した。「次は坂本選手と戦います!」
テレビの画面には、観戦に来ていた坂本博之の顔がアップになっていた。
私は「モンタ」の壊れかけたテレビに映る坂本博之を見ながら、胸の高まりを押さえる事が出来なかった。当時、畑山隆則がヒルベルト・セラノと対戦する事が決まってから、畑山が勝てば最初の防衛戦に坂本を指名してくるのではないかと、ファンや関係者の間で憶測が広まっていたのである。
試合当日、私は「モンタ」で常連客と一緒にテレビ観戦をしていた。かなり不思議な感覚だった事を記憶している。いつも隣でメシを食べている男が、リングで戦っているのである。とても客観的に見ることは出来なかった。試合結果は、ご承知のように10ラウンドKOにより負けを喫してしまった。畑山隆則がくりだしたパンチが顔面にあたった瞬間、スローモーションを見るかのようにノックダウンしたのだ。この時、私は今までに見た事が無い光景に、一瞬自分の目を疑った。と同時に自分がKOされたかのように、意識が遠のいて行く感覚に襲われた。
「あの坂本博之がKOされた・・・。」
そして、二度と思い出したくない過去になった。 それからである。私が"勝負師"坂本博之を本気で追うようになったのは。
「この男の"生き様"を記録しなければ」そう思ったのだ。
坂本博之にはボクサーとしての魅力と同時に人間的な魅力を感じる。
武骨そうな風貌、野武士を彷彿させるたたずまい。
坂本博之が醸し出す雰囲気は独特なものがある。
「俺が恐れていること。それは負けることだ」
「ボクサーにとって、俺にとって敗北することは単にボクシングの試合に負けたという意味では済まされない」
「負けるということは、それまで自分が築き上げてきた実績や信念、自分への自信。 全てが否定されるということ。つまり、俺の人生そのものが、負けの烙印を押されたということなんだ」
(坂本博之 不動心 企画・構成=加茂佳子より)
普通に生活している人には、とても分からない感覚だろう。
しかし、勝負師には勝負師にしか分からない世界があるのだ。
2003年の夏、坂本博之から1本の電話が入った。
「決めたよ。腰にメスを入れることにした」
「まともな体で、もう一度俺は確かめたいんだ」
私は、「了解。坂本さんが決めたことだから、手術が成功することを祈ります」と言って電話を切った。
実は2000年、畑山戦が終わってからボクサー生命を脅かす椎間板ヘルニアに襲われていたのだ。それからは、腰の状態と相談しながらの日々が続いた。 ブロック注射等様々な治療法を試したが全く完治しない。 その後行われた佐竹政一との「東洋太平洋スーパー・ライト級タイトルマッチ」では座薬を使用して試合に挑んだ。それは、明らかに腰をかばっての試合だった。
この時、私はもう"限界"だと思った。
「引退」か「手術」を選択する時がいずれ来るだろう。 仮に手術をしてもボクサーとして再起出来るのか。 あるいは、普通の生活までも奪われるのではないか。 しかし、この状態が続く限り「世界への再挑戦」は望めないだろう。
「ボクシングをやめればと言うことは俺に死ねばと言っているのと同じ事。俺は諦めない」
「自分だって誰かにカメラマンをやめろと言われてもやめはしないだろ。それと同じだよ」
「俺は神様とだって喧嘩するつもりだ。まずはヘルニアをKOしてくる」
坂本博之はそう言い残して、福岡県にある総合せき損センターへ向かった。
そして、2005年5月12日、"勝負師"坂本博之は2年7ヶ月ぶりに後楽園ホールに帰ってきた。
腰にチタンボルトを埋め込んでの再デビュー戦である。私は胸の底から込み上げてくるものを感じた。入場曲ドヴォルザークの「新世界より」が流れたとき、不覚にも涙腺がゆるんでしまった。あの、腰痛に泣かされた日々が走馬灯のように流れていく。
総合せき損センターでは、術後間もないころに、車椅子に乗りながら
「俺は必ずリングに戻る。約束どおりヘルニアをKOしたよ」
と言った時のギラギラした目が忘れられない。また、退院してからのリハビリ中には、仲間のボクサーの試合に応援に行った時に見せた寂しげな目が思い出される。仲間がステップアップして行く中、自分はリングに上がれないという状況がどんなに辛いという事か、私でも理解出来た。だから、今ここにある光景が信じられない思いだったのだ。
それは、まるで夢の中にいるようだった。私の中では「世界戦」と同じ価値があったのだ。メディアでは多くは語られないが、今回の再デビュー戦がどれだけの人々を勇気づけたか分からない。何人もの腰痛や脊髄損傷に悩んでいる人々が、坂本博之の復活を聞いて手術の決断をしたという。私は再びリングに戻れただけでも十分ではないかと思った。
しかし、坂本博之はきっぱりと言った。
「俺は自分が納得するまで戦う。年齢とかそんな事は関係ない」
「去りゆくものは去っていけばいい。誰のためでもない。俺は自分のために戦っているんだ」
手術への決断。孤独なリハビリ生活。
さまざまなネガティブ要素を跳ね返して、坂本博之は不屈の精神で戦い続けてきた。
そして。
引退表明の前夜に連絡があった。
「打たれても、打たれても前に出るスタイルが俺なんだ」
「ファンのみんなはそれを望んで後楽園ホールに足を運んでくれるんだよ」
「だけど、それが出来なくなった今、グローブを置くことを決めた」
「それが勝負師としての俺の"美学"なんだ」
私はその言葉を聞いた瞬間に「世界戦」など、どうでも良くなってしまった。
何故だか分からないが、あんなに夢見ていた世界戦がすごくちっぽけな事のように思えてしまったのである。
もちろん、世界チャンピオンを目指して戦ってきたのは事実である。
しかし、もっと大きなものを坂本博之は目指していたのではないかと。
残念なことに、ここで"プロボクサー"坂本博之は終わりを迎える事になった。
しかし"人間"坂本博之としての第二章はすでに始まっている。
最後になりますが、坂本博之公式ホームページ[fudoshin.jp]が諸事情により観覧出来なくなってしまい、関係者及びファンの皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました。この場をお借り致しましてお詫び申し上げます。
ホームページ製作スタッフがイタリア・中国・日本に別れて仕事をしていた都合により、
発生した問題に対して早急に対処する事が出来ないまま、年末に集まって新たにホームページを開設しようと構想を練っていた矢先の引退発表となってしまいました。しかし、これで全てが終わりではありません。
今までとは違った形で、新しい"坂本博之"を表現していこうと考えています。
更に、当初、右も左も分からない私を暖かく迎えて頂き、親切にご指導して頂いた角海老宝石ボクシングジム関係者の方々、特に田中トレーナーとフセイン・シャーには大変感謝しております。本当にありがとうございました。
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